こんにちは、ヨーコです。


イースターは、イエスの復活をお祝いするキリスト教の行事で、

春の到来を告げるイベントでもあります。

イースター・バニーやイースターエッグが店頭に現れ、

お祝いの雰囲気がさらに盛り上がります。



イースターの基本情報はこちらを!

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キリスト教の祝日「イースター」とは?日付や起源を解説



しかし、アイルランドにとてイースターは、

特別な歴史的な意味があるのです。


イースター蜂起(Easter Rising)概要

この蜂起は、1916年のイースター明けの月曜日(4月24日)に

アイルランドのイギリスからの独立を目的とした

アイルランド共和主義者たちによる武力蜂起です。


反政府のアイルランド共和主義者たちはダブリンの中央郵便局などの主要部を占領して

イギリス軍との戦争が始まりました。


蜂起は一週間後の4月30日に鎮圧され、死傷者は2000人を超えました。

そして、蜂起の主導者は間もなく罰せられることとなりました。


当初、蜂起は、一般のアイルランドの人からあまり認められていませんでしたが

次第に、罰せられた主導者たちは殉職者として支持されるようになりました。


2016年はイースター蜂起の100周年記念。

アイルランドでイースターを祝い、

100周年記念の式典への参加を計画した、という記事はこちらを!

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アイルランドの休日、幻のイースター蜂起100周年記念式典〜2016



イースター蜂起の背景




1801年、実質的にイギリスによりアイルランドが併合され、

ロンドンからの支配にアイルランドの民族主義者が反感を覚えました。


1914年にイギリスの支配下ではあるけれど、ある程度の自治権を許すという

アイルランド自治法が成立しますが、第一次世界大戦勃発のため自治は保留となりました。


一方、革命的秘密組織、アイルランド共和主義同盟は完全な独立を目指し、

のちにイースター蜂起を呼ばれる、蜂起の計画を始めたのでした。


1916年4月

イースター蜂起はアイルランド全土で行われる予定でしたが、

最終的には、主にダブリンのみでの蜂起となりました。


蜂起はアイルランド共和主義同盟(IRB)によって組織され、

パトリック・ピアースに率いられたアイルランド義勇軍、

ジェームズ・コノリーに率いられたアイルランド市民軍、そして

女性連盟(Cumann na mBan)の総勢約1200人が、

ダブリンの主要部を占拠しました。


占領した中央郵便局の前で、

パトリック・ピアースが『アイルランド共和国宣言』を読みあげました。

しかし、2万人の英国政府軍に対してはかなわず、

蜂起はは6日後鎮圧され、翌5月には主導者たちは罰せられました。

イースター蜂起、その後

主導者たちの処罰、蜂起に関わった人たちの逮捕、戒厳令などが

イギリス支配に対する反発、アイルランドの独立の強い動きとなって現れてきました。


イースター蜂起自体は鎮圧されてしまいましたが、

1919年には第一回アイルランド国民議会が開かれ、

アイルランド共和国の樹立が宣言され、アイルランド独立戦争が始まりました。


1931年に、ウェストミンスター憲章が成立し、

イギリスと対等な主権国家(英連邦王国)となり、


1949年4月18日には、イギリス連邦を離脱し、完全な共和制になりました。

この日は、イースター蜂起と同じイースター明けの月曜日、イースター・マンデーでした。

「Foggy Dew フォギーデュー」

「Foggy Dew フォギーデュー」は、ムアロッホ・ショア(Moorlough Shore)」という

古い歌のメロディに

北アイルランド・ダウン州のCanon Charles O’Neill(1887-1963)が作詞した曲です。

アイルランドのために戦おうという愛国心、

つまりはイースター蜂起をテーマにした歌です。

物悲しいメロディーが印象的です。


物悲しいメロディーが印象的です。

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